きんぴら通信。2011年9.5月号

  • 『8・08』 by葉
    朝食は鯖の味噌煮だった。
    骨が抜かれて食べやすかった。
    8月8日、月曜日。午前6時の5分前。
    目覚まし機能が鳴るより早く、周囲の気配で目が覚めた。
    起きているのは約半分。二、三人程姿が見えない。
    顔を洗いに行ったのだろうか。
    目をこすりながら立ち上がり、タオル片手に部屋を出る。廊下は未だ青白い、ひんやりとした静かな朝だ。
    ホテル出発は7時30分。それまでに準備と食事を済ませて、バスに乗り込まなければならない。現地で使う持ち物は、昨夜のうちに小分けしてある。寝間着のジャージをツナギへと着替え、手荷物を持ち、階下へ降りる。
    手早く朝食を済ませた後、各々勝手にバスに乗り込む。流石にみんな心得たもので、予定時刻の10分前には全員残らず着席していた。
    いよいよ、という感じだ。
    車内にやる気が充満している。ヘルメットや長靴を既に身に付けている人も少なくない。
    予定通りにバスが出発。現地に直接行くのではなく、まずは近隣の災害ボランティアセンターへと向かう。
    昨日通ってきた道を、しばらく引き返すようなルートだ。
    やがて、家や車の残骸が、陽射しの中に段々浮かび上がってきた。
    薄暗かった事もあり、昨日は不気味な印象を受けた。
    でも、今は、明るい光に照らされた被災地は、静けさばかりが際立っていた。
    人の姿が少なくて、生々しさが欠けている。
    工場内の広い空き地にポツンと一台停められたカブが、なんだかひどく淋しげだった。
    『あれがグランドホテルの本館だ』
    隣に座ったおじさんが、静かな声で囁いてくる。
    反対側の窓の向こうに、赤茶色の建物が見えてきた。他と同様、人影はなく、経営している様子もない。
    津波に洗われたのだろう。一階二階三階まで、ガラスが砕けて流れ落ち、ぽっかり黒い穴が空いている。
    なぜ宿泊先が別館だったのか。その理由が、今、ようやく分かった。
    ボランティアだから安い別館なんだろう。と、軽い気持ちで勝手に想像していたが、とんでもなかった。
    そうだ。壊れてしまった、と考えるのが、ここでは普通の捉え方なんだ。
    ぼそぼそと、誰かの話が聞こえてくる。なんでも別館は息子さんが、本館は親父さんがそれぞれ担当していたらしい。
    津波が襲ってきた当時、親父さんは、まだ本館にいたそうだ。
    その後の行方は分かっていない。
    殴りつけられたような気がした。自分が未だに、情けない、呑気な思考をしていることを、強く、思い知らされた。
    バスは構わず走り続ける。
    途中、トイレ休憩も兼ねてバスが商店に立ち寄った。
    白と青の明るい看板。ローソンだ。
    この辺りでは唯一のコンビニ。駐車場は満杯だ。
    震災後に建てられたのだろう。建物はピカピカで、傷も汚れも見当たらない。
    向かい側には崩れかけたパチンコ店が立っていた。こちらは営業していない。
    特に買いたいものは無かった。しかし、被災地でお金を回すという意義と、被災地のコンビニに対する興味とがあったので、ちょっと覗いていくことにした。
    店内は特別広いということはないが、商品はかなり充実していた。
    野菜なども豊富に販売されているし、一つ一つの在庫も多い。
    イートインのスペースもある。うどんなどの軽食も、注文できるようだった。
    あとは、……蠅が異常に多い。レジまわりだけで常に5匹は、ブンブン辺りを飛び回っている。正確な数は不明だが、店内に全部で10匹前後はいたと思う。
    レジの前には順番待ちの長い行列ができていた。最後尾が飲料用の冷蔵庫まで伸びている。
    二台がフル回転しているが、追いつかない。単純に、客の数が多すぎるのだ。
    5分程待ち、ようやく自分の順番がきた。用意していた硬貨を出して手早く会計を済ませる。
    ふと、カウンターの後ろの壁にバイト募集の張り紙が見えた。
    時給680円。
    こういうところはどこも変わらない。
    全員揃ったのを確認して、バスが再び動き出す。なんとなく窓の下を見る。駐車場端の小さな庭に、色とりどりの綺麗な花が植えられていた。
    三十分後、バスは海岸沿いの道を抜け、ボランティアセンターに到着した。
    ダンプやショベルカーとすれ違う。近くには瓦礫の分別場があり、鉄屑、木材、コンクリート等、材質毎に分けられて、それぞれ高く積み上げられていた。
    センター内で受付を済ませ、身分証明のワッペンを貰う。自分の名前を書き込んで、早速胸へと貼りつけておく。
    その後、派遣先が決まるまで、体育館のようなホールで暫く待機することになった。
    各グループの人数に応じ、それぞれ適した派遣先をマッチングする仕組みらしい。周りの壁には、過去に此処を訪れたボランティア達の寄せ書きが、所狭しと掲示されていた。
    カラフルな字や、イラストが多く、渇いた心が解きほぐされる。
    ……ぼんやり待つこと十分弱。ようやく派遣先が決まった。
    被災家屋の瓦礫撤去と、元避難所の掃除と片付け。
    今回は、二手に分かれて作業するそうだ。
    自分は一応男ということもあり、より過酷そうな瓦礫撤去に志願した。
    角スコップや一輪車、鋤簾やチリトリ等を借り、センターの白いワゴン車に積み込む。
    現地に行くのは15人。一度に乗って行くのは無理だ。第一便と第二便とに、分かれて向かうことにする。約半数。自分も含めた8人が、まずは車に乗り込んだ。が。
    熱中症の対策だろうか。車内はクーラーがキンキンに効いていた。というか効きすぎていて頭がガンガンしてきそうだった。後部座席の人達も、しきりに腕をさすっている。やはりみんな寒そうだ。しかし誰も文句を言わない。
    もちろん自分も言い出せない。なんというか、誕生日に苦手なものをプレゼントされた気分に似ていた。相手の好意を感じるだけに、余計な世話だと断れない。
    青々とした山道を抜け、不意打ち気味に細い路地へと入り込む。
    グネグネとした坂道を、スピードを落とし降りていく。両脇には、坂にへばり付くようにして小振りな家々が立ち並んでいる。
    住宅街というよりも、集落といった趣だ。
    と、突然車が停まった。
    どうやら到着したらしい。……が、本当に此処で合っているのか?
    確かに車のすぐ脇に、津波にやられた家は見える。しかし、そこは既に片付けられて、バラック小屋が建てられていた。
    他に壊れた家は見えない。どこも実にきれいなものだ。こう言ってはなんだけど、あまり被災地という感じがしない。
    運転していた職員も同じ事を思ったのか、何度か手元の書類を確認した後、車を降りて確認に向かった。
    手持ち無沙汰で周りを見回す。三〇メートル程前にコンクリートの波止場が見えた。
    意外と海が近い。波も立たず穏やかで、キラキラ細かく輝いている。
    程なく、職員が駆け戻ってきた。
    隣の民家で話を聞いたが、住所は間違いないという。
    ただ、少し入り口が違ったらしい。
    車を少し後退させて、バラック小屋の裏へと回る。周囲を民家に囲まれた、死角になった奥まった場所。そこが今回の派遣先だった。
    各自が荷物を車から降ろし、進んだ先に見えたのは、
    今朝方、街で見たのと同じ、土台だけの、家だった。

    ……何がなんだかよく分からない。

    思わず後ろを振り返る。
    罅ひとつない白い家。ほんの数メートル先は何事もなく暮らしている。
    いや、もちろん傾斜がついているから、あちらの方がいくらか高い。高いけど。
    しかし、それにしたって、差がありすぎる。ほんの僅かな高低差が、彼らの人生を分けていた。
    再び前に目を向ける。
    何度見ても土台だけ。壁も屋根も何処にも見えない。見えるのは、ただ、のび放題の雑草だけだ。恐らくは損傷が激しかったので重機で解体したのだろう。
    瓦礫の中に、黄色いものが落ちている。
    砂に塗れたクマのプーさん。
    持ち主であろう子供は無事だったのだろうか。
    暗雲は尽きない。
    とか言っていても始まらないので、早速作業に取り掛かる。
    敷地内に散乱している瓦礫やガラス、木材などを片っ端から土のう袋に詰め込んでいく。
    分別はしない。なんでも一緒。やり切れない、ということなんだと思う。
    被災家屋はまだまだ沢山、文字通り山積みになって放置されているからだ。
    質より量を優先する。多分、そういうことなのだろう。
    袋に入りそうにない大きな破片を先に拾って、残りの土砂を詰めていく。土質は泥というよりむしろ砂に近かった。津波が運んできたせいか、それとも元からこうなのか、どちらなのかは分からない。乾燥していたから良かったが、雨あがりには水気を吸って大層重たくなるのだろう。
    熱中症を防ぐため、30分毎に休憩を挟み、こまめに水分補給をする。
    一人一本、社協からペットボトルが配給される。
    『〜地球からの贈り物〜 大分水嶺の地下水』
    ……なにやらNHKの特番みたいな大層な名前がついてはいるが、要は塩尻市の誇るおいしい水道水だった。
    味は……やっぱり至って普通。
    塩も砂糖も一切合切、余分なものは入っていない。
    一、二時間も続ければ流石に作業も慣れてくる。チームワークも成立し、後半は、一気に作業スピードが上がった。
    その結果、昼、センターに戻る時間には、目に付く瓦礫はあらかた全部、片付けることが出来ていた。
    再びワゴンに荷物を積み込み、昼食のためセンターに向かう。
    もう一方、体育館のメンバーは既に先に戻ってきていた。
    宅配弁当300円のシャケおにぎりをパクつきながら、向こうの作業の感想を聞く。
    一言で言うと大掃除。窓拭きしたり、椅子を運んだり、箒をかけたりしたらしい。
    ただ、床の雑巾がけだけは、ちょっと常軌を逸するぐらい過酷で腰にキたという。
    確かに。腰を屈めるあの運動は、小学生の若さがないと、かなり厳しいものがありそうだ。
    食事休憩も終了し、一旦メンバー全員が、玄関前に集合した。
    さて、午後はどんな派遣先だろう?と思いきや、なんと、午前と同じ場所に行くよう、センターに指示を出されてしまった。
    なんでも規定があるらしい。『たとえ作業が終了しても、予め派遣先と約束した時間内は、そこに居なければならない』だそうだ。
    ええ?なんじゃそりゃ、効率悪いな……。と思ったが、被災者側がそう言う以上、こちらはそれに従うべきだ。
    再びワゴンで現地に向かう。
    が、やはり仕事は殆どない。ボーゼンとつっ立っていても仕方がないので、草をむしって時間を潰す。
    …………二時間後。むしる草さえも無くなって、うろうろ周囲を徘徊する。
    海に面した裏手の坂を覗きこんでみた。
    土が大きく削られて、ゴミや瓦礫が転がっている。
    多分、ここから波が駆け登ってきたのだろう。周囲に比べて傾斜が緩く狭まっているから、波がこの坂に集中したのかもしれない。
    ……あそこなら、もっとよく海が見えるだろうか?なんとなく脇の傾斜を登る。
    と、ここにも家の土台があった。
    午前、片付けた家以上に、瓦礫やガラスが散乱している。派遣先とは目と鼻の先、十メートルしか離れていない。
    カァッと胸の奥が熱くなる。ボサっとしている場合じゃない!草むしりする暇があるなら、こっちの瓦礫を片付けて…………いや、駄目だ。
    正式に依頼されてない土地に、手をつけるような真似は、出来ない。
    無意味に肩が重くなる。
    自分たちは時間潰しに来たわけじゃない。ボランティアに来たというのに、
    ……なんともかんとも粗末な話だ。
    それから更に一時間。ようやく帰る時間になった。
    依頼主。家の持ち主は、遂に一度も顔を見せなかった。

    8月8日(月)、二日目終了。(つづく)
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